楽読インストラクターのりゅういちです。
日常生活の中で、なぜかイライラしていたり、何かのきっかけで感情が爆発してしまったり、ということはないでしょうか。今回は、なぜそういうことが起きるのかについてお話していきたいと思います。
感情をため込んでしまう原因は?
私たちは、自分の脳の中で起こっていることのほんの一部しか顕在的に認識できていないそうです。例えば、右脳でキャッチした情報を正確に把握するのは難しいとされています。
右脳と左脳は、リアルタイムに情報をやりとりしています。しかし、ふだん私たちは、ほとんど左脳の声を聞いて生活しています。僕たちの心の中に言葉として浮かんでくる声や考えは、主に言語野のある左脳が発している言葉です。だから、右脳が考えていることは何となく感じ取ることはできても、はっきりと意識的に言葉として捉えることは難しいのです。
たとえば、絵を見たり音楽を聴いたりしたときに、「どこがどう好きなの?って言われるとよくわからないけど何となく好きだな」とか、人と会ったときに「あの人、何となく好きじゃないかも・・・なんでって言われても困るんだけど」って感じた経験はありませんか?これは右脳では分かっているのに、右脳で起こっていることを左脳がはっきり認識することができないためです。具体的な言葉で表現するのが難しいのです。
逆に、私たちが右脳のことを認識できるのは【左脳があまり働いていないとき】です。そういうときには、右脳の状態がそのまま反映され、かすかな気分の揺れを感じやすくなるのです。
ただ、そうは言っても、日常の社会生活では左脳をフル回転させている状態なので、なかなかそれは難しいのが現実です。
一旦まとめると、
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右脳で起こっていることを
左脳ははっきり認識できない
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そして実は、このことが感情を溜め込み、何かのきっかけで爆発するということにつながるわけです。
感情をため込まないためにできること
実は、自分の中で湧きあがってきた一時的な感情の変化でさえも、自分自身ではまったく気付かないということがあります。これも右脳で感じていることが左脳にまで至っていないためです。そのため、自分でも気づかないうちにネガティブな感情を溜め込んでしまうこともあるのです。その結果、思いもよらないときになぜかイライラしたり、理由もなく憂鬱な気分になったりしてしまうのです。
たとえば、本を読んだりおしゃべりをしたりと左脳が活発に働いているときには、右脳で生じた悲しみや不安など情緒的反応は抑えられ、一時的にそれらの感情が和らいでいきます。でもこれは、「自分の感情に一時的に蓋をしたようなもの」なのです。これだと単に感情を溜め込んでいるだけで、積もり積もれば何かのきっかけで感情の爆発につながるのです。
ですので、感情を溜め込まないためには、右脳で感じていることをきちんと左脳でも認識してあげることです。そのためにまず大切なのは【自分が感じていることを顕在的にも認識する】、つまり【自分の感情に気づこうとする意識をもつこと】です。気づこうとする意識を持つことで、はじめて自分の感情を処理できるようになるからです。
そしてもう一つは、【左脳があまり働いていない状態をつくり、右脳を感じやすくする】ことです。そのためには、瞑想するのもよし、楽読レッスンを受けるのものよし、自分にあうものを取り入れるとよいと思います。
内側にたまった否定的な感情をなくすには?
ここで大事なことは、自分の感情を無理に抑え込まないことです。怒りでも悲しみでも、否定的な感情が表に出てきたら、逆にそれをはずすチャンスだと思ってみるのです。
せっかく出てきたのをぐっと歯を食いしばって抑え込んでしまうと、心の奥底に今までよりもさらに強く固着してしまいます。怒りや悲しみの感情が出てきたら抑え込むのではなく、
「自分は今、邪気をはずしつつある」
「うまくはずれれば、これまでより楽に生きられるようになる」
と思ってみるのです。
怒りや悲しみに色や形をつけて、それが体から離れていくイメージをしてみてもいいでしょう。そのときポイントは、もう一人の自分を認識することです。感情にまかせて怒りや悲しみを発露している自分とは別に、その自分を冷静に観察しているもう一人の自分を認識することです。
余談ですがこんな短歌があります。
泣いている われに驚く われいても
恋はしずかに 終ろうとする
(俵万智)
この歌では、泣いている自分を客観的に観察し、驚いている「もう一人の自分」をちゃんと自覚しています。おそらくこの短歌を作った時には、作者の悲しみの感情もきれいにはずれかけていたでしょう。だからこそ、恋の終わる様子を「しずかに」と表現できるわけです。
また、坐禅の「坐」という字は土の上に人を2つ書きますが、これは「自分がもう一人の自分と対座し、対話している」という意味です。
否定的な感情や煩悩にあふれ、外側の現象に振り回されている自分のままでは、つらい気持ちのままですし、つらい現実は変わりません。そういった自分を冷静に客観的に、しかも温かく見守るもう一人の自分に気づくことが大切です。
自分自身を温かく観察するというのは、自分を否定せず肯定して見守るということ。言いかえれば、「ありのままの自分をそのまま認めてあげる」ことです。
もちろん否定的な感情はいろいろあるでしょうから、1回それがはずれたくらいでは大きな変化はないかもしれません。しかし何回も繰り返していけば、だんだん体の中から否定的な感情が減っていき、悲しくつらい現象は発生しにくくなっていくはずです。
今日のお話が何か少しでも気づきのあるものだったら嬉しいです。
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