楽読インストラクターのりゅういちです。
「この頭の中のモヤモヤを何とか解決したい」「この悩みのタネを解消したい」。そう思っている方も多いと思います。今回はそんなときに参考になる考え方をお伝えいたします。
もがくことをあきらめる
仕事のことであれ個人的な問題であれ、そこにこだわって「何とか早く解決したい」「この苦しみから逃れたい」ともがけばもがくほど苦しくなります。
苦しい時は「早く、このつらさから逃れたい」と思ったり、「誰か何とかしてくれ」と誰かにすがりつきたい気持ちで必死になったり。そんな思いがいっそう焦りや不安をかきたて、悪循環に陥るわけです。
こんなときはいったん、「苦しみから逃れようとすることをあきらめる」ことをしてみるんです。これは「どうせ解決しないのだからあきらめろ」と無気力な気持ちで言っているわけではありません。「もがくことをあきらめる」 という意味です。もがくことをあきらめて、その問題を直視しようと覚悟する。その問題について「十分に時間をかけよう」と腹をくくるという意味です。
自分が何かにこだわって苦しんでいるときは、それから逃れたいがために、そのこだわりを否定したり拒否したりして遠ざけようとするものです。しかし、そのこだわりからなかなか解放されないのであれば、それは【自分に必要だから起こっている】と解釈してみるのです。
たとえば「何をしたらいいか分からない好きなことがないし、目標がない」という人は、「好きなものを発見しなければいけない」というところにこだわっています。その場合、いまのところ自分の気持ちがわからないかもしれない、好きなものも分からないかもしれない、それでも、もし今自分がそのことにこだわり悩んでいるのだとしたら、そのこだわりを「顕在意識の私は理解できないけれど、私の無意識が心から望んでいることなんだ」と受け入れてみるのです。
「このこだわりには何か意味があるんだ」「これがいま自分がテーマとして取り組みたい課題なんだ」と捉えてみるのです。そして、それこそが「自分の得意分野」につながっていくんだと捉えてみるのです。そうすると悩みの種だったその「こだわり」も違ったように感じられるのではないでしょうか。
自分がそうなるには意味がある
最近僕は「それがどんなに否定的な形で現れていても、自分がそうなってしまうのだとしたら、そこには、「そうするだけの意味があり、そうするだけの価値がある」と思うようにしています。
僕たちは否定的なものをすぐに拒否したり遠ざけたくなります。しかしこの場合、「自分のやっていることを信頼する」という考えに立ってみるとどうでしょうか。
はたして自分は無意味なことをやってるの?
間違ったことをしているの?
いやいや
いやいや
自分のやっていることは、今の自分にはベストのことをやっている
いま自分の身に起こっていること自分の周りに起こっていることは何か意味があるはず
そんなふうに考えるのです。
もし自分がその問題にこだわらずにはいられないなら、「理由はわからないけれどもこのこだわりが私の人生のテーマであるようだ」とか「私には分からないけれど、どうも私は、無意識のところでそれを望んでいるようだ」とか「顕在意識の僕」は抵抗しているが、本質的な「無意識の僕」はむしろこちらのほうを重要視していると考えるのです。なぜならば、そのこだわりに取り組もうと決断したとき、そしてそれに取り組むプロセスそのものが、自分をより「質の高い人生」へと導くと「無意識の私」は知っているはずだからです。
無意識は愛するあなたにメッセージを送っている
宇宙へとリンクする自分の無意識は広大無辺の能力を備えているそうです。そこには明確な「自分の意志」が働いていて、顕在意識で矛盾しているように見えるのは「顕在意識と無意識を統合した目標」を洞察できないかららしいのです。つまり自分の「意志」を自覚できないのです。
無意識は、あなたにひどいことはしない、あなたを守るために動いている、あなたを愛するためにメッセージを送っている。だから外目にはそれがマイナスに映ったとしても、自分がそれに「こだわる」のであれば取り組んでみたらいい。いまはどんな課題であるか分からなくても、「自分はそれがしたいのだ」という積極的な受け止め方をしたとき、同じ否定的と思える物事でも何か違ったものが見えてくるのです。
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